私たちの身体は、親神様からの「 借り物 かりもの」ですから 親神様の教えに添 添って使わせていただくことが肝心です。
日々結構に暮らせるのも、難儀不自由を嘆くのも
みな、心づかいから蒔いてきた種が芽生えた結果なのです。
蒔いた種は生え、蒔かぬ種が生えることはありません。 陽気ぐらしを望まれる親神様の親心に背く心づかいは、ほこり(埃)にたとえて戒められています。
ほこりは、積もり重なると、取り除き難くなるものです。
ほこりの心づかいについても、日々に我が心を反省し絶えず胸の掃除につとめることが大切です。
ほこりの心づかいを掃除するよすが(手がかり)として、次の「八つのほこり」を示されています。
一、をしい(惜しい)
心を配り、身体を働かせることを惜しみ、出さねばならないものを出し惜しむ。人間としてのつとめを欠き、楽をして暮らしたいと思う心。
二、ほしい(欲しい)
心もつくさず身も働かずに、金銭を欲しがり、良いものを着たがり、良いものを食べたがる。何でも、あるが上に殊更に選り好みして欲しがる心。
三、にくい(憎い)
自分のために注意してくれる人を、かえって悪く思って憎む。養子や、嫁を憎む。その場で出来た罪を憎まず人を憎む心。
四、かわい(可愛い)
我が身さえ良ければ他人はどうなってもよいと思う、身びいき、 身勝手の心づかい。我が子の愛に引かされ、物事の良し悪しを教えない。我が身、我が子だけ可愛いという心。
五、うらみ(恨み)
顔をつぶされた、望みを妨げた、悪く言われたと人を恨む。自分の足らぬことは棚に上げて人を恨む心。
六、はらだち(腹立ち)
人に対して腹を立てるのは、自分の言い分を立て、人の気持ちを分かろうとせぬから。腹の立つのは、気ままで、苦労が足らず、心が澄まぬから。短気、癇癪は我が身の徳を落とし、命を損なうことさえある。
七、よく(欲)
人の物を盗む、人をだまして利益を奪い取る。男女の情愛に溺れるのは色欲。人の物をただ我が身に付けるのは強欲で、こうした心づかいは欲のほこり。
八、こうまん(高慢)
思い上がった心から高慢となり、我が身を自慢し、人を見下す。人をあなどり、人を踏みつけにし、知らぬことも知った顔をして、人の欠点を探す心。
この他に、口先は綺麗でも、芯の心の汚い、うそ(嘘)とついしょ (追従)の二つも戒められています。

