神様は、「倒したら倒される、潰(つぶ)したら潰される、この理しっかり聞き分けよ」と教えて下さった。人の思いを倒したら、いつか自分の思いも倒される日がくる。人の運命を潰しておいたら、 我が運命もいつの日か潰される日がくる、それが天の理である。人の思いを倒しておいて、我が運命が栄えるためしはない。理には一寸一分の狂いもない。人はごまかせても天の理はごまかせない。
同じように人を生かしたら、自分もいつか生かされる。人の思いを立てておいたら、その人からはかえってこなくても、いつかは神様がわが思いを立てて下さる時がある。人を喜ばしたら、きっと喜ばされる時がくる。それが天の理である。
おたすけは人を喜ばせることである。人を喜ばせるから自分も喜ばされるのである。ところが、未信者で神様のお話も今まで聞いたことはないし、お参りしたこともないという人に喜ばそうとして神様のお話をさせて頂いても、咀嚼(そしゃく)もできないし納得もして頂けない。そんな時は身体で喜びを覚えて頂くより外はない。身体が喜べば自然と心も喜んで下さる。心が喜んだら天の理も神様もわかって下さるようになる。だから、身体で喜びをじかに感じて頂くことが人を生かす一番の近道である。それは何かというと、按摩である。
私は按摩で少なからず人だすけをさせて頂いたように思う。私の初期の布教は按摩であったといっても過言ではない。
按摩は布教に本当に役に立った。按摩で病人を喜ばせる、喜んだところへ神様のお話を聞いて頂く。これを繰り返している間にだんだんと親しくなり、別席にも行って下さる。おぢばへも帰って下さる。私の言うことを断らないで聞いて下さる。病人さんと親しくなる手立てが按摩であった。按摩をして嫌がられたことは一度もなかった。按摩が人を喜ばせる最も安易な方法だと思う。教祖も「親孝行ぜに金いらん。とかく按摩でたんのうさせ」とおっしゃっている。
ある日、例によって病人探しに歩いていた。入った家に六十過ぎのお婆さんと二十歳過ぎの青年がいた。婆さんに、「この辺に病人さんはいまへんやろか」と聞いた。婆さんは私の顔を見据えて、「病人探してどうしますねん」と言う。「私天理教で、病人たすけに歩いていますねん」。お婆さんびっくりして、「あんた病人たすけるのん。若いのに偉いなあ」と言う。さらに病人さんおまへんやろかとたずねると婆さん、「若いのになあ、若いのに偉いなあ」と若いのを頻りに感心する。布教に出る時、長い頭髪は邪魔になると思って丸坊主にしていたので、余計に若く見えたのかもしれない。「婆さん、若いのを感心していても仕様ない、病人教えてくれなあかんがな」。 婆さん、暫く「病人なあ、病人なあ」と言っていたが、はたと手を拍(う)って、「あ! 思い出した。教えたろ」と道順を教えてくれた。「病気は何と言うねん」「子宮癌や」「年はいくつや」「六十九歳や」。 しめたと思った。六十九歳で子宮癌だったら、いずれ死ぬだろうが、一ヵ月ぐらいはもつかもしれない。一ヵ月もおさづけに通えたら上々だわい、と思った。
勇躍、教えてもらった道順を辿って行った。ガラスの格子戸をガラガラと開けて、「こんにちは」と玄関へ踏み込んだら右側が店の間になってある。玄関とそれに接続する座敷とのこうしどの間に仕切りがないのである。昔はそこで商売の取引をしたのだと思う。だから「店の間」と大阪の人は言う。そこに、七十ぐらいの老婆が座っていた。この婆さんだと思ったから、 「天理教ですが」と声をかけた。婆さん、私を見かえして、「てんりさんか、てんりさん嫌いや、帰って!」と右手で物でもほうり投げるように玄関出て行けと払う仕草をした。けれども、もうその時は遅かった。私はポイと座敷へのぼっていた。婆さんの後ろへ行って背中を掴んだ。按摩である。子宮癌と聞いてきたから、子宮癌なら腰である。腰の所へ特別に力を入れて押してやった。婆さんいい気持ちだったろう、背を反らして「そこのところ、そこそこッ」。もうこうなったら、こっちのものである。婆さん、なんぼ天理教嫌いでも断れない。とうとう婆さん、布団の上に横になって腰を押してくれと言う。それからこの婆さんの按摩が始まった。毎日々々、按摩に通った。二十六日のおちば帰り以外は、一日も欠かさず通った、しかし、私は按摩が好きで通っているのではない。按摩をしながら神様のお話をしたいのである。神様のお話を聞いてもらわねば、婆さんたすかってもらえない。婆さんたすけるためにお話を聞いてもらおうと、「あのなあ、神様はなあ……」とお話を切り出そうとすると、婆さん、蠅でも払うように「てんりんさん、もうええわもうええわ、帰って帰って」と按摩の手を払うのである。単独布教師が、やっと見つけた病人である。首がちぎれても、石にしがみついても離されない。こうなったら布教師も悲壮なものである。無言の行である。この婆さんは、世間ばなしだったらよいのであるが、私は世間の事情を知らない。黙って按摩をするのである。時によると、朝八時ごろから夕方の四時ごろまで。お昼になるとうどん一杯振るまってくれる。食べ終わって、もう帰ろうかとすると、婆さん顔をいがめて腰を押さえて、「ここがなあ」とする。もう帰れない。また按摩である。
今顧みて、話らしい話をしたのは一回だけであった。ある時婆さん私に、「てんりさん、わての口見てんか」と自分の唇を撫でて私に見よと促す。目を近づけて見ると、唇が上も下も皸(ひび)だらけである。「この皸が痛うてかなわんね。甘いもの食べても痛い、辛いもの食べてもしみる。おかずが食べられへん、味噌汁も飲まれんねん。二年ほど前からこんなになったのや。 お医者さんは何やらの欠乏や、注射したら治ると言うて注射してくれているけど、ちっとも治らんね。困ってんね。てんりさんで、こんなん治るやろか」と。これは痛いだろうと思った。婆さん、頻(しき)りに唇を撫でている。「治る。ぼろくそに治る」「どないしたら治るねん」。この時だと思ったので、「婆さん、人間の咽喉(のど)はなあ円いのやで、円い咽喉から出てくる声は円い声やないといかんと神様が教えて下さるのや。円い声がやさしい声や。やさしいから潤いがあるといって人間の唇には潤いをつけていて下さるのや。人間達者な時は、唇に潤いがある。それは円い咽喉から出てくる声だから、円いやさしい潤いのある声を出しなさい。世の中のすべての物はみんな潤いで育つのや。木も、野菜も、お米も、人の心もみんな潤いで生きかえるのや。人間も疲れて、へとへとになっている時、人からやさしい言葉で労(ねぎら)ってもらってごらん、今までの疲れがいっぺんに吹き飛んでしまうで。夏の炎天に何日も雨 が降らないと、大根も人参も雑草まで萎(しぼ)んでしまう。そんな時、夕立が来て潤いを頂いたらいっぺんに生きかえって見違えるように元気になるやろう。それと同じや。人間も潤いで生きかえるねん。言葉が潤いや。やさしい、やわらかい、いたわる言葉が潤いや。そんな言葉を使いなさい、と神様は人間の唇に潤いをつけていて下さるねん。ところが婆さんの唇に潤 いがないから、皸ができたるねん。お前の言葉には潤いがない。やさしさがない、もっとやさしい言葉を使えと言って皸を作って言葉の使い方を神様が教えて下さっているのや。だから、おっさんに、もっとやさしく言うたりや。そしたら神様、治して下さるわ」。
この家の商売は、酒の小売屋である。おっさんが配達に行く時、玄関から、奥で按摩をしてもらっている婆さんに大きな声で、「○○へ配達に行ってくるで」と声をかける。婆さん、「ふん」と鼻で返事しておく。「ただいま!」と帰ってくる。婆さん、「早かったなあ」「ご飯は?」「そこにある」「お茶は?」「かけたる」。 こんな調子である。これでは婆さん、やさしさも潤いもあらへんやろ。配達に行ってくると言ったら、「この暑いのにご苦労さんですなあ。気をつけて行って下さいなあ」、帰ってきたら、「ご苦労さんでした。暑かったでしょう。おしぼり持って行ったらええのやけど、今按摩してもらってますねん。そこにあるタオルで汗拭いといてくれますか。すみませんなあ」と、なんで一言添えないのや。そしたら、おっさんも満足するのや。婆さんの言葉に潤いがないから、神様が唇に皸を作って痛い目をさせて教えて下さっているのや。婆さんわかったか。今日からやさしい言葉で言いなさいや。そしたらたすけて下さるわ。帰りにおさづけしてあげた。
四、五日経っておさづけしてあげようと思ったら婆さんが、「てんりさん、今日からここはええで」と唇を押さえている。「唇はどうしたのや」「もう治ってん、今朝から味噌汁飲めてん」と目を近づけて見ると、もう皸はきれいになくなっていた。「婆さん、おっさんにやさしい言ってるか」と言うと、「まあまあなあ」と婆さん。
この婆さんに、神様のお話ができたのはこの時ぐらいであった。この婆さんが五ヵ月過ぎたころだった。例によって、布団の上に横になって按摩してあげていた時、突然婆さんが座って、「てんりんさん、てんりんさんという神様は結構な神様やなあ。こんな結構な神様は今まで知らなんだ」と言うのである。私は何のことかわからない。今まで神様のお話もしたこともないし、この婆さんに、教祖やおぢばの話もしたことない。天理教を知っているはずがない。「婆さん、なんで結構やとわかったの」と聞いたら、婆さん言うのに、「あんたがうちへ来てくれるまで、私は毎月出血があった。だから、しんどうてしんどうて座ってもいられなかった」。 なるほど、私がこの家へ初めて天理教ですと入って行った時、この婆さん、店の間で座敷机に凭れていたのである。当時は座椅子もないころで、机に凭れていないと起きておれなかったに違いない。
「ところが、あんたがうちへ来てくれるようになって、神様にお願いしてくれてからもう五カ月過ぎるのに、一回も出血がない。だから近ごろは、こんなに肥えて元気も出てきた。近ごろは表へも出られる。ちょっとした買物やったら行けるようになった。これ見てんか。こんなに肥えたのや」お婆さん、帯を解き始めた。裸になったら、腰巻きが出てきた。それも解いてしまった。まる裸になった。下腹部を両手で撫でて、私にこれを見よと言うのである。下腹に脂肪がのって、ふっくらと盛り上がっている。それを撫でて、「こんなに肥えた。こんな結構な神様は知らん。有難い神様や」。 婆さん、よほどうれしかったに違いない。恥ずかしさも気おくれもなかった。「こんな有難い神様にお礼参りしなかったら罰があたる。わたしは表へ出られても、まだ電車によう乗らん。てんりんさんでは代参を許して下さるのか」と言う。婆さんと、代参を誰にしようかと相談した。婆さんには、子供がなくて養女にしている娘さんが一人いた。その娘を代参させて別席を運ばせることになった。店から娘を連れて来て、娘にも納得させて日を決めた。
その日が来た。相手は娘さんだから案内には女がよいと思って、天理から妻を呼び寄せた。 その日、朝から私は他所へおたすけに行った。日没おたすけから帰ってくると妻がいたので、「今日はご苦労さんやった」と労ったら、妻は行かなかったと言う。朝早く誘いに行ったら、娘さん、月のものが始まったから不浄になるので行かない、と言う。天理教では親の所へ帰るのだから、不浄というのはないのや。神様は月のものを花が咲いたとおっしゃって、不浄などとはおっしゃらない。花が咲くから子供という実が稔(みの)るのである。花が咲いたのだから、神様にお参りするのに何も差しつかえはない。妻は説明したが、娘はきかない。そのうちにおっさんが出てきて、今日はやめとくわ。また、こんどにするわと断った。妻は女だからそれ以上勧めるをやめて、また、こんど日をあらためて行って下さい、と帰ってきた、と言う。
しまった!と思った。神様に約束してお願いしてあるのに外(はず)してしまって、と思ったが、もう遅い、日が暮れている。翌日は気になるので、早い目に出かけて行った。おっさん、店の間の上り口に腰を掛けて、私の行くのを待っている。私を見るなり、「天理さん、えらいことした、もうあかんわ。昨日奥様が迎えに来て下さって、断るつもりやなかったのに、つい断ってしもうた。奥様帰られて半時間経ったころ、お婆さん、大出血や。断るのやなかったのにえらいことしてしもうた。もうあかんわ」。私もびっくりした。五ヵ月余り通い続けた家だから、勝手がわかってある。奥の六帖の間に婆さん寝ていたが、部屋中血腥(ちなまぐさ)い。婆さん、血の気がない。かわいそうに衰弱して物もよう言わん。切ってしまったら、切られてしまったのである。あんなに喜んでいたのに、とうとう出直してしまった。けれども二十日ほどは命はあった。私は毎日さすりに行ってあげた。ある日、さすってあげている私の右手を、婆さん自分の両手で挟み合わせて押し戴くようにして、「てんりんさん、てんりんさんには大きに世話になりましたなあ。この御恩は生きている間にかえそうと思うていました。けれども、もうあきませんわ。死んでも御恩忘れませんで。死んでも御恩返しはしますで」と私の手を戴くのである。もう貧血で両手の指の先は、冷たくなっている。婆さん、余程うれしかったに相違ない。ちょうど六ヵ月、按摩に通い続けた。その間に、婆さんからお礼の言葉を聞いたことはなかった。何時間按摩しても、ありがとうとも、おおきにとも言ったことはなかった。お前は按摩が好きなのだろう。だから、按摩をさせてやっているんだ、そんな顔をしていた。ところが、この時ばかりは違っていた。さすってあげている私の右手を両手で抱き、おし戴いて死んでも忘れないと言ったのだから、うれしかったに違いない。これがお婆さんの最後の言葉になった。それから、お婆さんは昏睡状態になって、物を言わなくなった。だから、お婆さんの最後の言葉は、神様へのお礼の言葉であった。それから三日目に出直した。それが月末の二十五日であった。
その翌月から、にをいがかかり出した。私の教会の古い信者さん方は、その時からにをいがかかった人たちである。私があっちこっちと出歩かなくても自然ににをいがかかり、先方からたずねて来て下さる人も出来てきた。
諭達第二号の中に、「真実の伏せ込みを通してのみ明るい守護は頂ける」と教えて下さっている。みんな明るい守護を頂きたいのである。けれども、明るい守護は天からも降ってこないし、地からも湧いてはこない。真実の伏せ込みさえしておけば、神様がいつかお与え下さると教えて下さる。六ヵ月間、何の報酬も頂かないで按摩のひのきしんに通ったことは、 神様も真実の伏せ込みとお受けとり下さったのかもしれない。それまではなかなかにをいがかからなかったのが、それ以後は楽々とにをいがけできるように神様が道を拓いて下さった。また婆さんの霊様もお働き下さったのかもしれない。教祖のひながたは人を喜ばせることに尽きる。お道は、どこまでも人さんさえ喜んで下さることをさせて頂いていたら、それでいい。結果を求めなくてもよいと思う。喜ばせたら、きっと喜びが帰ってくる。倒したら倒される、潰したら潰される、喜ばせたら喜ばされる、それが天の理である。

